2017年度 連続講座 第6回
修繕しながら暮らす

「修繕しながら暮らす家」とその素材。

今年度ARTORO講座、最終回の第6回は「修繕しながら、暮らす。」
家とは何か?を一から洗い直した5回目を受け、今回は屋根について考えます。講師は兵庫県在住のかやぶき職人の相良育弥さん。世界各国のかやぶき屋根を見てきた相良さんとともに「かやぶき屋根の魅力と登呂の住居の屋根に使うかやの選び方」についてひもといていきます。

登呂遺跡公園内には、復元された住居がいくつかあります。相良さんは「とりあえず、見て回りましょうか」と、そのうちの一つに参加者全員で移動。
「この屋根の素材は何だか分かりますか?」
正解はススキですが「では、かやぶき屋根の『かや』って何だろう?」
そもそも「カヤ」という植物があるわけではなく、屋根として使えるイネ科の植物を束ねたものを「カヤ」と呼んでいる、という説明に驚きの声が上がります。

本原 令子

以前、相良さんに会った時、かやぶき屋根はアシだけじゃない?!ということにびっくりした

相良さん「その地域で大量に簡単に採れる植物を使ったはずなので、地域によってススキだったりヨシだったり、イネだったりしたんです。」

前回の講座で佐藤先生が「定期的に屋根を補修するので、継続して特定の材料がたくさん採れないと維持できない」と話していた内容と通じる部分です。

屋根として使われているススキを見てみると、風雨にさらされている部分こそ、灰色に変色していますが、重なった奥の部分はツヤツヤです。これは「プラント・オパール」というイネ科の植物の表面をコーティングしている組織によるもの。葺きたての時にはキラキラと光沢を放つのだそう。雨が降ると表面をすべる水滴を軒先まで落とすのが、かやぶき屋根の仕組みです。分厚い屋根だから雨が漏らないのではなく、そういった植物の特性や、水滴を落とす傾斜角度なども計算して作られています。
また、何年も経って土のように変化したものは、農家からいい肥料として重宝されています。つまり

相良さん「ただ雨風を防ぐだけではなく、頭上で将来の肥料を作っている。すべてを無駄なく再利用するんです」

かやぶきの基本的技術は、80~85歳以上の人であれば「当たり前にできたこと」と相良さんは言います。かつては専門の職人がいたわけではなく、器用な百姓たちがみんなでやっていたこと。ただ、それらは下の世代に受け継がれていません。「かやぶき職人は比較的新しい職業。なので自分たちが技術を学び、若い世代に再インストールしているんです」

続いて別の復元住居へ。こちらはヨシぶきで、「ヨシぶきの住居はマメコバチという小さなハチが住処にします」と相良さん。「人間の都合で作った建物に入り込んでくる生物がいる。そんな隙間だらけの造りが面白いですよね」

博物館に戻ってからは、世界各国のかやぶき屋根の事例を、写真とともに説明してもらいました。
相良さんが暮らす兵庫県神戸市北区淡河町は、何軒もかやぶき屋根の家屋が残る地域。今はかやぶき職人の仕事は、古い屋根の修復が9割以上を占めますが「昔は家主がコツコツ屋根の材料になるもの――稲わらやススキ、ヨシなどを集めて保存しておき、20年ぐらい経ったらふき替えに使ったのですが、今はそうやって素材を集めないので、修繕費の3~4割が材料費です」

大分の別府で作られている、みょうばんを採るための稲わらぶきの小屋や、日本海側に残る笹ぶきの家、イギリスの小麦わらぶきの家や、デンマークの小さな島、レス島の海草ぶきの家(!)など、地域や国によっても「かやぶき」は実に多様で、その土地の気候風土に合った自然素材が使われています 。
中でもオランダは、現代の建築家がかやぶきを建築素材として認識し、新築住宅や公民館、、市役所などににも積極的に取り入れられている「かやぶき先進国」です。
そんな世界各国の事情を、実際に現地で知った相良さんは 「昔にはなかった素材や技術を生かして、今何を作れるか」を常々考え、イベントやアートフェスティバルなどで新しい茅葺作品を作り上げ、展示しています。
「かやぶき屋根の家に住みたい人が、自然に選べるようになれば。技術面でも、先人の積み重ねを理解した上で若い人が育ち、いろんな国のいいところを取り入れて、日本らしい、マメコバチを無視しないようなものを作っていけば、魅力ある国になるんじゃないかな」

後半は、藤枝の米農家、松下弘明さんも加わり「どんな稲わらがこれから建てようとしている登呂の竪穴式住居に向いているのか? 」を考えます。
相良さんの「稲作をしていたから、登呂は稲わらぶきだったのでは」というアドバイスをもとに、集められた稲わらは20種類。
「昔は、わらをいろんなことに使っていたので、わらとして使うための『わら取り品種』というものもありました」(松下さん)
太くて長いもの、短くて細いもの、しなやかなもの、しっかりしたものなど、個性豊かな稲わらを前に、相良さんは「長さがある方が、面積がかせげますね。逆ぶきにしたとき、真ん中から穂先にボリュームがあったほうがいい。長さがあってバキバキせずにしなるもの」
そして何種類も混ぜるのではなく、1種類にした方が「傷み方も均一だから、その方がいい」とも。
弥生時代に近い品種は分からない(松下さんが所持する一番古い品種は1720年頃から作られているもの)ので、昔のDNAを組み込んで作った品種が使えれば面白いですね、という意見が出ました。

戦後GHQの指導で、日本でも小麦栽培が推奨された時代には小麦ぶきが多かったりと、「その時に多くあるもの」を生かしてきました。
「その年に多く手に入ったもので、出来ることをする、というのが、広義の意味でかやぶきです。最近だとブルーシートも使えるだろうし、実際ビーチサンダル素材で作った家もありました。いつかストローで葺いてみたい」と相良さん。本当は、地域ごとにかやぶき職人がいて、その地域の気候や特性を知り尽くした人がメンテナンスをするのが理想的、と相良さんは言います。

かやぶき屋根の住宅が減っていくと同時に、失われる技術を習得することにも力を入れている相良さんが「苫編み」という編み方を見せてくれました。長く編めば「むしろ」になる苫編みは、道具を使わずわらの束と縄だけで編み込んでいく方法。
「かやぶきの仕事は、組む、縛る、編む、縒る、綯う、繕う、と糸へんの仕事で成り立っています。昔の人はこういうことを雨の日仕事としてやっていました。一時的に人間の手で束ねられただけで、ほどけば簡単にもとのパーツに戻り、土に還る。そんなところが美しいですね」(相良さん)

質疑応答でも活発に質問が飛び出しました。

Q かやぶきは、いつ頃から実用化されていた?
A 分からないけれど、おそらく旧石器時代ぐらいから草で屋根を作っていたのでは。今のような形になったのは江戸時代ぐらいかな。でも、もっとガサっとしていたはず。

Q 淡河町に多く残っているのはなぜ?
A ベッドタウン化せず、取り残されていたから。

Q 登呂の人たちの家はもっと雑な感じだったと思う?
A 金属器がなく、石器ではまとまった数を刈れないので、ラフに屋根を作って3~5年で替えていたのでは。笹とか土ぶきだったかも?

(笹ぶきの家があると知って)パンダのエサなのに家が作れるのがすごかった!

有機素材だけがカヤではないのだ。

分業が進みすぎて循環している目線を理解する(させる)のが難しい。

その土地を知っている人や職人が(身の丈や物理的距離の範囲で)手掛けるもので、繕いながら住み続け、すべてが土に還り、生物が共存しあっている、と気づいた。

今年度の講座はすべて終了しました。ご参加いただいたみなさま、ご協力いただいたみなさま、ありがとうございました。
来年度も引き続きよろしくお願いいたします。

(ライター:永野香里)