2015年 田んぼ準備・野焼き

今日(2016年5月15日)は田の枯れ草を焼いて、
皆で考えて何種類も点蒔きし、
その田の半分は正真正銘の相撲みたいな「塩まき」と
名付けられたばら撒きをいたしました。
どの種の稲が直播に強いか、どの位の収量を得られるかというところに
焦点を当てた実験となり得るとおもいます。

わかったことのひとつとして、
(当たり前だけれど)青く生きている草は燃えにくく、
その現場にある枯れ草だけでは
とても地温を80度になど出来ないなというところ。

それを行うには、
外部から枯れ草をいやそれだけではない枯れ木、枯れ枝、流木などを
足して足して、轟々とそれこそ燃やし尽くす勢いでやらねばいけない。

それは田に火を入れるということで、
ことばや漢字に祈りやマジックがあるとするならば、
どうなるのかというと、畑。

田んぼが収量が落ちたり、なにかの理由で火によって畑に還元され、
さらに痩せた畑が、その後すっぽんや魚などの育つ地となり、
その糞やらで肥えて田んぼに戻る。

これはあくまでわたしの想像なのですが、
田んぼを田んぼとして継いでいくのに火はまだ不要なのではないか?
衣服がやがて雑巾となり、繊維に戻るように。

衣服のための繊維。大麻を育てていた、とお話を伺い、
田んぼがあってそれを畑にして、沼地に戻して肥えさせて。燃す。
そんなループを考えたときに、
いつ火が田んぼに入ったのかと考えておりました。

それは毎年、場所を変えて火祭りのように行われ、
その都度、大切な土器を焼いた。
その土器を焼き終えて、あちちと言いながら出して冷めた頃
地温が80度位に下がってたなら良いな。

わたしが原点を求めるのはそれが理にかなっていたから。
理にかなわない事をすると怪我をする。
竹細工は本当は絶対怪我をしない。
ちょっとでも理にかなわない事をした時のしっぺ返しが大きいだけで、
乾いた竹はへぐものではない。

三枚の田ではできないかも知れないけれど、
三に三を掛けて九枚にすればそんな実験もできるかしらと思いました。

今日も色んな美味しいものを頂きまして、楽しかったです。
人よけの竹は鳥よけの竹と進化して、
土の上に乗せた藁と共にみんなで作り上げた、
なんだかアートだった登呂の一日。
火は美しく燃え広がった、けれど。